新・三つの棺-「幻影の書庫」日記

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一円玉は拾わざるや?

下を向いて歩く癖がある。こういうの癖と言うのかな? 生活習慣? 方向音痴を形成している一つの要素かもしれないとも思う。周りの光景なんか見ちゃいないんだよね。見ないまま進むし、一度行ったところも把握できない。
ま、そんなことはともかく、下を向いて歩くと、下にあるものが目に入るのは物の道理。
というわけで今朝もそうだったのだが、お金を見つけることだって、そう珍しいことじゃない。お金といっても、お札を見つけることはまずない。大抵は、というか間違いなく硬貨だ。でもって、そのほとんどは当然の如く一円玉である。
 
一円玉を見つけると、必ず脳裏に浮かぶことがある。
「一円玉を拾うには、一円玉以上のコストがかかるから、拾ってはいけない」という俗説だ。非常に有名な話だろうと思う。
 
でも、これってどういう根拠なんだろ? きっとエネルギーで換算してるんだろうね。1円玉を拾うのに要する運動量が何calになるか、大体の平均値を出すことはそう難しいことであるまい。しかし、それをどうお金に換算するんだろう? 何kcalの食物に幾らかかるかなんてデータがあるとは思いにくいな。日本人の平均の食費と、平均の摂取カロリーから計算するのかな?
 
ま、それで計算は可能だとして、実際それが1円以上(以前聞いた話だと2円ちょいだったと思う)だとして、じゃあそれが拾わない理由になるのかな?
だって現代なんて、カロリーは得ることよりも、消費することにお金を使う時代なんだもの。
カロリーを消費して、お金も儲かるなんて、こんないいことはないんじゃなくて?
 
というような机上の空論を考えつつ、今日も通り過ぎるのだった。
#500円玉ならきっと拾うけどな。あっ、人通りがなかったら50円でも拾うかも(笑)