新・三つの棺-「幻影の書庫」日記

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隠された記憶(ネタバレ解読有り)

TSUTAYAの半額キャンペーンにて鑑賞。
解決のない作品だという事前知識があったから、さほどダメージは受けずに済んだが(但し、あのシーン −見た人はわかるよね− のダメージはしっかり受けちまったさ。通り魔のような一瞬の衝撃、ひどいぜ)、それでもやっぱり、ポカ〜〜ん、キョト〜〜〜ん。
トレーラーに「全世界震撼のラストシーン」という煽り文句が出ていたが、ある意味正しい。「なんでこんな何もないシーンでエンドロールが流れ出すんだよぉ〜」と、全くもって意味不明の地獄に陥っちゃうんだもんな。
 
ということで、この作品を語るには、ネタバレで語るしかあるまい。自分なりの解釈(しかもその中には非常にミステリ的な謎解きも含まれているぞ)を続きから。
 
 
 
 
 
映画「隠された記憶」の完全ネタバレです。未見の方はご注意を! 
 
 
先程はわかってて書いたのだが、「震撼の」ってのは、上記したような意味合いではなくて、息子二人が親しげに(?)話してるシーンを指しているのだろう。だからといって、その意味だとしたら「震撼」ではあるまいと思うのも事実。まだ絶対に上記の意味の方が「震撼」出来るってば。覚悟していたくせに「ええ〜っ」と声あげそうになったもの。
 
ま、それはおいといて。このシーンは結局、ビデオの犯人は”この二人の息子の共犯”ということを暗示しているのだろう。では、暗示だけで、何も証拠はないのか? 一切は観客の勝手な想像に委ねられているのか? いや、実はそうではない(と、私は考える)。
 
証拠はあるのだ。
友人達を招いているときに、ビデオが届けられるシーンがある。主人公が一旦外に出て戻ってきたときに、ドアに挟まる位置にビデオが置かれていた。大多数の観客は気にしてはいないかもしれないが、ミステリマニアならばきっとこう考える。えっ、これって不可能犯罪やん、とね。考えてみて欲しい。いったいどうやればそんなことが可能なのか?
 
可能性は一つしかない。ビデオは家の中から置かれたのだ。つまり外から呼び鈴を押して逃げる人物と、主人公が外に出た隙に中からビデオを置く人物と、二人が必要なのだ。ここではまだ外の人物は特定できないが、中の人物は特定できる。主人公が外に出て、妻は友人達とテーブルについているわけだから、唯一可能な人間は息子のピエロしかいない。
 
では、外の人物は誰か? 主人公がマジッドと初めて出合うシーンがビデオに収められていた以上、この家の人物しか考えられないだろう。しかし、死の直前にそのことについて嘘を付く意味はあるまい。とすれば、これも必然的にマジッドの息子ということになる。ただの暗示ではなく、犯人(達)の正体はきっちりと証拠を挙げて描かれていたのだ。
 
但し、WHYに関しては、観客は想像する他はない。
おそらくマジッドの息子は父親の人生を追い込んだ主人公に、謝って貰いたかっただけじゃないのだろうか? 主人公には負い目(やましさ)があるだろうから、きっと簡単にはやって来ない。だから確実に家に来させるための手を考えたのではないか。実際その結果は正しかったのだが、でも明らかにそのやり方は間違っていた。
ピエロに関しては、親への不信感を餌に協力を取り付けたのではないか。父親への不信感だけでは動かせないかもしれないと踏み、母親の浮気(と受けとめられても良さそうなシーン)をも撮影して見せた。両親への不信感、それが正しいのかどうか確認するために、ピエロは協力することを決心したのではないか。
 
でも、結果は最悪な形を迎えてしまった。
自分が招いてしまったことだから、マジッドの息子は主人公を声高になじることも出来ない。そうでなければもっと激高していても不思議はなかったはず。
 
というのが真相ではないかと思うのだが、さて、どうだろう?
 
ところで過去の映像(鶏のシーン)だが、少年二人が逆だったのではないかとずっと考えていた。皮膚の色が違うという設定だから、さすがにそれは無理筋なんだろうけどな(見ていた方は確実に白人だから)と思いつつも。
だって過去で見られる二人の性格と、再会時の二人の性格は、逆にした方がすっきりするじゃない。また施設の車に乗せられるときの少年の映像(服装なども)も、見ていた側の少年の方に似ていたように感じられたのだけどね。
 
この方が主人公の罪悪感ももっともっと高まるわけだし、あれが逆だとすると、マジッド側に大きなトラウマがあったのだと、より理解しやすい。鶏を殺した少年(そのときもきっと脅迫されたに違いない。それがつまり、見ていた方の少年に襲いかかろうとするシーンだ)に、再び脅迫されたわけだ(「これは脅迫なのか」という問いに主人公は「そうだ」と答えている)。その言葉の後に一時間も泣き続ける意味合い、そしてまた自殺するところまで追い詰められた心理も、こう考えてこそすっきりするんだけどなぁ。
 
更に想像をたくましくするならば、「血を吐いた」という言葉も、もっと残酷な行為を想像できないか? マジッドに「鶏を殺したのは自分ではない」と主張させないために、脅迫の手段として取った行為が、結果的に口から血を吐く(勿論ソレは自分の血ではない、鶏の血なのだ)ことになるような行為だったとしたら。ああ、いかん、自分で書いてて気味悪いわ(不快感を与えてしまってゴメンナサイ、でもこの映画自体が不快感を与えるためにあるような映画なんだもの)。
でも鶏を殺した罪をなすりつけるだけならわかりやすい話だが、「血を吐いた」という嘘は良く意味がわからない。実際にそういう事実があったとした方が理解しやすいようにも思うのだけどね。
 
さて、まぁ過去に関しては私の妄想だろうが、現在側の真相に関しては、そう的を外してはいないのでは、と自負したりもしている。でも当然正解は与えられないので、取りあえずここはそう思って、そこそこ心の平安を得ておくことにしようっと。