1/3 スター・チャンネルBS放映分。
はぁ〜っ、冒頭の謎は魅力的なのに、それがココに行き着いちゃったら、何の意味もないだろ。考え得るもう一方の展開も、このところの流行り系であるため、一体どっちなんだと、もっと引っ張って欲しかった気がする。だけど引っ張られた挙げ句にコレだったら、溜め息を通り越して怒りの気分を沸き立てられるかもしれないから、相当に早い段階で解答を出したのは正解なのかもね。
いずれにしろ解答がこんなんでは、道筋が正解だろうが何ろうが、どうでもいいんだけどさ。
最後の真相が語られる直前に、「あっ、ひょっとして、こういうことだったりして」と思い付いたことがあったので、書いてみよう。相当にひねくれてるか、と自分でも思ったとおり、大外れだったけどね。完全ネタバレなので続きから。
- 「フォーガットン」もう一つの解答編
(映画「フォーガットン」の完全ネタバレです。注意!)
飛行場の中で、子供の姿を追いかけているシーンで、「何故、子供が逃げるんだ?」とちらっと疑問に思ったことから、するするっとある着想に辿り着いた。
「ひょっとしてここまで観客が誘導されていたものと、真相は真逆なのでは?」と考えたのだ。
つまり、記憶を奪うことが目的ではなく、逆に記憶を植え付けることが目的だったのでは、と。ちょっと複雑ではあるが、一旦植え付けた記憶が本当に強固なものとなり得ることを実験するために、敢えて与えた記憶を再び奪い返すという行為を行っていたのではと。どうすれば強固な記憶が植え付けられるか、その糸口を探るために。
根拠はこうだ。
記憶を奪う意味合いは自分には理解できないが(だって、そのままで何も不都合はあるまい)、記憶を植え付ける意味合いなら容易に理解できる。大昔からSFで常に扱い続けられてきたテーマじゃないか。身近にいる宇宙人。自分の親が、自分の配偶者が、あるいは自分の子供が宇宙人ではないのか?
記憶を操作して、自分の子供達を自然に地球人の中に送り出していく。緩やかな侵略、あるいは侵略という意図ではなく、やむにやまれぬ事情があるのかもしれない。充分な力を持っているにも関わらず、強行突破ではなく迂遠な手段を取るということは、意外に”いい宇宙人”ではないのか、とまで考えたのだった。
いやあ、すっかり考え過ぎだったなぁ。最後までそのまんまで、何の逆転もなく終わっちゃった。ミステリ的な導入から、アイデンティティ揺らぎ型スリラーを見せネタとして、単なるバカSFに終わる。まぁ、私の考えはひねくりすぎだとしても、少しは何か工夫が欲しかったよ。
結果的には、駄作だったな。