新・三つの棺-「幻影の書庫」日記

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指定バトン『映画』Part4

こんな『映画』 は嫌だ!
映画って、映画館に行くには、それなりのお金もかかるし、労力も時間もかかる。レンタルやTV放映で観るにしたって2時間程度の時間拘束が必要とされる。おそらく現代人にとって一番貴重なのは『時間』だから、これってかなりの犠牲だよね。
ということで、必然的に観る映画ってのは、それなりに吟味した作品ばかりということになる。少なくとも自分の場合はそうだな。
だから、はなっから「嫌だ!」な映画は、そもそも観ること自体がないので、存在しないも同然。「こんな『映画』は嫌だ!」ってのは「ない」と答えておこう。
……ってのは建前で、それでもやっぱり「外れ」ってのは出てしまうのが現実。幾つか挙げておきましょ。これって映画に限らず、小説でも当然同じなんだけどね。
・人間関係がドロドロしすぎ →みんな嫌な奴に思えるし、きたならしい。純というか、人間関係が幼稚な自分には耐え難い。
・あまりにも救いようがない →落ち込むしかない状態に自らを追い込みたくはないよ。
・みんな頭が悪すぎ →こうすりゃいいじゃんという別解が明らかだと白けてしまう。
・誰にも感情移入できない →フィクションといえど、やはりどこかしら自分自身に投影できる要素がないとね。
・絶対に惚れようのない女性がヒロイン →やっぱりヒロインはどこかしら(一瞬でもいいから)愛おしく感じさせて欲しい。
 
この世に『映画』 がなかったら
少し前までの子供達は『ゲーム』と共に育ってきた世代だろうと思うが、我々の世代は『TV』と共に育ってきた世代なのだ。それこそ白黒の時代から、文字通り”チャンネルを回す”生活を送ってきたのだから。
『TV』は『映画』を放映することもあるし、2時間ドラマや連続ドラマなど、時には映画をも超える作品を産み出すことさえある。映画放映が無くても、極端にはこの世に映画そのものがなくても、TVがあれば私は満足してしまうと思う。
そして、次の世代は『ゲーム』。TVゲームは、『TV』自体の上に、『ゲーム』という新たな抗い難い魅力を取り入れてしまった。TVを補完できるものではないにしても、もしもTVがなくなってもモニター機能さえあれば、そこそこ満足することも可能なのではないか。実際、携帯ゲームがあれば、TVというハード自体も不要なわけだし。
そして現代は『携帯』の時代なのだろう。もはや『携帯電話』という言葉すら無意味化している。電話はもはやほんの一つのサブ機能に過ぎず、メール、カメラ、財布、ゲーム、TVなど、思い付くことごとくを取り込む勢いを見せている。TVもTVゲームも無くなっても、これさえあれば充分満足できるだろう人間達を、世代とは関係無しに産み出している。
『映画』→『TV』→『ゲーム』→『携帯』
それぞれ、それ以前が無くても、満足できる生活スタイルを産み出してきた。ふと考えてみると、映画=個人・カップル、TV=家族、ゲーム=周囲の友人、携帯=広範囲の友人、とコミュニケーションの範囲がどんどん拡大しているんじゃないのかな。
当たり前の話なんだろうけどね。やっぱり人は人とつながっていたいんだもの。
 
次に回す3人以上(『指定』付きで)
ということで、つながっていたいというのに。
え〜〜ん、友達少ないよぉ〜。誰が読んでくれてるかわからないよぉ〜。読んでくれてそうな人にはもうバトン回っちゃってるよぉ〜。
これ読んでてバトンまだ受け取ってない人、こっそり(でなくても構わないけど)「読んでまっせ」と連絡くださいぃ〜!